Feb 28, 2016

キッチンに立つ

 

キッチン

女性に生まれて思うのだが、女性は一生の中でキッチンに立たない日はないのだな、と。お湯を沸かす、パンを焼く、コップを洗う、といった小さな動作ひとつもキッチンでとり行われる。子供ができ、朝お弁当をつくるというスパイラルにはいると毎朝キッチンから始まる。リノベーションの仕事をしていて女性陣はキッチンにこだわり、男性陣はお風呂にこだわるというのもうなづける。暮らしの中で「食」は最重要課題の一つで、身体をつくる、心をあたためる、家族とのコミュニケーションをとる、など様々な視点から熟慮して作っていきたいところでもある。

キッチンも数十年前から比べると格段にバリエーションも増え、機能も充実し明らかに変化してきている。昔アメリカのTVドラマにでてくるアイランドキッチン(広いキッチンカウンターが壁面についていて、さらに真ん中に大きなカウンターがある形状)をみたとき衝撃を受けた。そのアイランドカウンターに肘をつき、TVドラマの息子と息子の友達が勝手に大きな冷蔵庫をあけて、恐ろしいほど大きなジュースのタンクを取り出してオレンジジュースを飲んでいる光景が印象的であった。わたしは祖母2人と一緒にくらしていたので、冷蔵庫の中にはジュースなどなく、あるのはお茶のみ。高度経済成長の日本にはまだまだアメリカのキッチンの様子は夢のような姿であった。

キッチン(昭和生まれの人間にとってはお勝手や台所ということばが当時の様子を想い出すにはぴったりだが)はわたしの小さな時の記憶と深く結びついている。小学校から帰るとお米を研ぐのと夕飯の支度の手伝い、片付けをおばあちゃんと一緒にやるのが日課であった。当時は「めんどくさいなー・・・」と心では思っていたが、言い出せる雰囲気はなく、そういうものなんだと言い聞かせていた。今振り返れば台所に立ち、支度をするのが苦なくできるようになったのもそのおかげなのかもしれないな、とふと思う。水栓から流れるお湯がシンクにあたる音、ガス栓をひねるときのカチカチっとする点火の音、包丁とまな板で奏でる規則的なとんとんという音・・・それらの音たちが毎日の具体的な日常を行えている、安心な音となっていることに気付く。生をうけている間、ずっとずっとキッチンに立ち続けたい。それが私たち女性の生きている証となるのだと。

 

 

 

CLUB66的リノベーション事例
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